これまでも、これからも、地域のために地域と共に生きる
橋市初代店舗建設、現在の盛岡市夕顔瀬橋際に落成、屋号を橋市と定める。
麹、塩、豆腐商い、遂次事業拡大。
米、雑穀の取扱となる。味噌、醤油の醸造へと拡張する。
水車による精米、製造を始める。
製材は更に東京より請負あり、土木建築請負業をも開始する。
1891年9月1日。開運橋、夕顔瀬間の道路を開く。
開発顕彰の碑(旧川守稲荷神社境内)盛岡駅開通碑と共に現存する。
林業、貸家建設、福祉事業、学校建設(厨川小学校)への貢献
二代社長 谷藤市助(明治24年5月25日生)就任
米穀、味噌、醤油醸造に入る。その土蔵の一部現存する。
初代の影響で、木伏、下台、堂の前等に、貸家を自ら設計建築する。
同店舗は、大東亜戦争中、食料統制に入り、食糧公団に統合。北部集配所となる。同時に味噌、醤油醸造をも閉鎖となる。
食糧公団解散 夕顔瀬旧店舗開放となるも米雑穀業も閉鎖
三代社長 谷藤新吉(大正11年5月11日生)就任
同店舗にて(有)橋市商店を創設、包装資材業を始める
第一号倉庫建設(木伏)
第二号倉庫建設(木伏)
有限会社橋市倉庫を創業 不動産管理部門設く。
神明館橋市道場建築(岩手県初の剣道個人道場)
盛岡市中央卸売場市場に支店開設
国道拡幅のため店舗開設100年目、創業の店舗解体
(橋市道場の二階の広間として現存する)
社名を(有)橋市と改名、本店を盛岡駅前北通に新築移転
都南村、盛岡中央卸売場支店、配送センターを開設
八戸市小中野に八戸支店開設
盛岡駅前区画整理により、本店を盛岡駅前北通橋市ビル1号館に移転
橋市(841)ビル完成
本社、店舗及び事務所、同ビル1F、2Fに移転
11月6日 橋市水沢店オープン
9月 堂の前841マンション落成
4月18日 橋市東京生命ビル落成
4月21日 841クラフトオープン
5月18日 串文オープン
(有)橋市から(株)橋市に変更
四代社長 谷藤文明が就任
ソーラー事業開始
五代社長 谷藤大樹が就任